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スポ根映画と呼びたい、加藤泰

『炎のごとく』(1981年 監督:加藤泰)をDVDで観ました。観ていたつもりで観ていなかった・・・不覚。加藤泰監督の作品は、いったん観始めたら最後、終わるまで目が離せなくなるので「ちょっと途中まで観るか」などという軽い気持ちはご法度です。

 

あらすじはWikiのほうが正確で登場人物も網羅されているので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。

この『炎のごとく』は菅原文太演じる「会津小鉄」と呼ばれる仙吉が、倍賞美津子演じる盲目の三味線弾き(瞽女ごぜ)のおりんに命を助けられるところから始まります。仙吉は自分に人生賭けたと言ってくれたおりんを幸せにすることを誓います。仙吉は「女にむごいことする奴、嫌いじゃ」が口癖。世話になる人足屋の親分にも「おりんが一番だから」と言って盃を交わすのを断ろうとしたり、縄張りをはっきりと決められていない川の中州に賭博場を作って騒動を巻き起こしたり「変わり者」ですがその直情型の魅力が人を惹きつけます。

さあこれからという時に最愛のおりんが殺されてしまい、逆上した仙吉が4人の親分衆に諭されてなお大泣きするシーンは泣けます。自分に正直で裏表がなく、怒ったり泣いたり笑ったりが激しい仙吉の行動、生き方はまさに炎のようです。

おりんも、仙吉の許嫁のとみは激しくはないけれど、じっと仙吉を思う姿がまたしずかな炎のようでもあります。

この映画は・・・というより加藤泰監督の作品全般が、激しく、登場人物はたいがい熱く燃えています。汗や涙にまみれています。大げさに泣き、わめき、怒りまくります。スポ根マンガのようです。

『炎のごとく』ではまた、「新選組」が描かれています。近藤勇沖田総司らはまだいいとしても、芹沢鴨の描かれかたはひどく、新選組についてたいした知識のなかった私は「新選組というのは滑稽でひでえ奴らだ」という認識を得ました。「京都で友達がほしいんだ!」という近藤勇には笑いました。友達って・・・しかもその関係は対等ではなく、まず上から目線の付き合いです。誰も友達になりたくありません。

そして、芹沢鴨新選組志士の佐々木が結婚を誓い合ったあぐりを自分の愛人にすると宣言して無理やり奪い取ろうとします。結局逃げようとした2人は芹沢の腰巾着新見に斬られて死んでしまいます。これが2人を見守っていた仙吉の逆鱗に触れ、芹沢鴨の暗殺につながったというのはフィクションですが、私はこれを史実として記憶することにしました。

実は、「目が離せない」のは熱い人物、ストーリーもありますが、それ以上に加藤泰監督独特の構図にあります。誰かが説明的なセリフを言うだけのシーンでも、4つも5つもカットを割ってみたり、それも右から左から、アップ、どアップとぐいぐいカメラが役者の顔をとらえていきます。男女が顔を近づけて会話しているだけなのに、顎の下から撮ってみたり、一瞬何が映っているのかわからない時もあります。よく、面白半分にいろんなカットをつなぎ合わせてみたり、変な角度から撮ってみた構図をこれみよがしに映し出す映画というのもありますが、加藤泰作品では一つ一つのカットに面白半分なものはなく、「これしかありえない」という確信に満ちています。真剣勝負と言ったたぐいの、失敗したら斬られるのではというくらい、入魂のカットをたたみこんできます。

まさに一撮入魂(そんな言葉あるのか?)。スポ根感もいっそう高まります。

ゆるい気持ちで観ることは許されない、でも観た後には心地よい疲労感でいっぱいになります。暑い夏に涼しい部屋で加藤泰映画をどうぞ。